
わかりやすい文章とは何か?読み手に伝わる文章の条件
文章を読んでいて、「内容は難しくないはずなのに、なぜか頭に入ってこない」と感じることがあります。
一文ずつ見れば意味は分かる。それでも、文章全体として何を言っているのかが見えてこない。反対に、専門的な内容を扱っているにもかかわらず、驚くほど自然に理解できる文章もあります。
こうした違いは、単に使われている言葉が難しいかどうかだけでは説明できません。文章の構造、情報を提示する順番、文と文のつながり、読み手が持っている知識など、さまざまな要素が文章の理解に関係しています。
そもそも「わかりやすい」とは、文章のどのような状態を指すのでしょうか。読み手に伝わる文章には、どのような条件があるのでしょうか。
※ 本記事はPRを含みます
「読める文章」と「わかる文章」は同じではない
文章を理解するためには、まず書かれている単語や文の意味を読み取る必要があります。しかし、一つひとつの文を理解できれば、それだけで文章全体を理解できるとは限りません。
たとえば、次のような文章を考えてみます。
「雨が降っていた。傘を持っていなかった。駅に着いた。服が濡れていた。」
それぞれの文は簡単です。それでも私たちは、単に四つの文を別々に記憶しているわけではありません。「雨が降っているなかを傘なしで移動したため、駅に着いたときには服が濡れていたのだろう」と、書かれていない関係まで補いながら一つの出来事として理解します。
文章理解の研究では、読み手は文章に明示された情報だけを処理しているのではなく、自分が持っている知識を使って推論しながら、文章全体について一貫した理解を作っていくと考えられています。
つまり、わかりやすい文章を考えるときには、「一文一文が読めるか」だけではなく、「それらをつなげて一つの意味として理解できるか」を見る必要があります。
読み手は文章に書かれていないことも補っている
どれほど丁寧な文章でも、現実についての情報をすべて書くことはできません。
「太郎はレストランに入った。しばらくして料理が運ばれてきた」と書かれていれば、注文したことが明記されていなくても、多くの読み手は自然にその出来事を補うでしょう。
これは、読み手が「レストランでは注文した料理が運ばれてくる」という知識を持っているためです。
文章を理解するとき、私たちは書かれている情報と、自分がすでに持っている知識を組み合わせています。
ここに、文章のわかりやすさを考えるうえで重要な問題があります。書き手と読み手が同じ知識を持っているとは限らないからです。
ある分野の専門家にとって当然の前提でも、初めて学ぶ人は知らないかもしれません。社内で長く働いている人には説明不要な略語でも、新入社員には意味が分からないことがあります。
そのため、わかりやすい文章とは「何でも詳しく説明した文章」ではありません。読み手が何を知っていて、どこから説明する必要があるのかを考え、理解するために必要な情報を適切に置いた文章だと考えることができます。
一文を短くすれば、わかりやすくなるのか
文章をわかりやすくする方法として、「一文を短くする」と言われることがあります。
確かに、一つの文へ多くの情報を詰め込むと、文の構造を追うことが難しくなる場合があります。日本語の文章表現と理解の関係を調べた研究でも、一つの内容を表す文は、複数の内容を含む文より、内容に関する問いへの解答時間が短かったことが報告されています。
しかし、「短ければ短いほどよい」と考えるのも単純すぎます。
「会社は新制度を導入した。社員から意見が出た。制度を変更した。運用を開始した。」
一文ずつは短くても、それぞれの出来事がどのような関係にあるのかは分かりにくい文章です。
一方、「会社は新制度を導入したものの、社員から複数の意見が寄せられたため、一部を変更してから本格的な運用を開始した」と書けば、一文は長くなりますが、出来事の関係は明確になります。
大切なのは文字数そのものではなく、一つの文の中で読み手が処理しなければならない情報や関係が複雑になりすぎていないかということです。
文と文の「つながり」が理解を支える
文章は、文を並べただけでは成立しません。
読み手は、ある文を読んだあと、「次の文は前の文とどのような関係にあるのか」を理解しながら読み進めています。
原因を説明しているのか。具体例を示しているのか。反対の内容を示しているのか。前の内容を言い換えているのか。話題が別のものへ移ったのか。こうした関係が見えなければ、それぞれの文の意味が分かっても、文章全体の流れをつかみにくくなります。
文章におけるこうしたつながりを考える概念の一つに「結束性」があります。指示語、接続表現、同じ話題に関係する語句などによって、文と文がどのようにつながっているのかを見る考え方です。
たとえば、「しかし」「そのため」「一方で」といった接続表現は、前後の内容の関係を読み手へ示す手がかりになります。
ただし、接続詞を大量に入れればよいわけではありません。文章の関係そのものが曖昧な状態で接続詞だけを加えても、論理が明確になるとは限りません。
重要なのは、書き手の頭の中にあるつながりが、読み手にも追える形で文章に現れていることです。
文章全体には「何について書いているのか」が必要になる
一文ずつのつながりが自然でも、文章全体として何を伝えたいのか分からないことがあります。
たとえば、ある商品の説明を読んでいる途中で、会社の歴史、開発者の思い、商品の機能、業界全体の問題、利用者の感想が次々に現れれば、それぞれが興味深い内容でも、読み手は「結局、この文章は何を説明しているのだろう」と感じるかもしれません。
文章には局所的なつながりだけでなく、全体としての一貫性も必要です。
タイトル、導入、各段落、結論が同じ中心的なテーマに関係し、それぞれが文章の目的に対して役割を持っていると、読み手は現在どこを読んでいるのかを把握しやすくなります。
反対に、書き手が思いついたことを順番に並べただけでは、一つひとつの内容が正しくても、読み手側で文章全体の構造を作らなければならなくなります。
わかりやすさは、文の表現だけでなく、文章全体の設計にも関係しています。
具体例はなぜ理解を助けるのか
抽象的な概念を説明するとき、具体例があると理解しやすくなることがあります。
たとえば、「権限とは、一定の範囲で判断や決定を行うことを認められた力である」と説明するだけでも意味は伝わります。しかし、「店長には勤務シフトを決める権限がある」と具体例を加えると、その概念が現実の場面でどのように現れるのかを想像しやすくなります。
具体例には、抽象的な説明と読み手が知っている現実との間をつなぐ役割があります。
ただし、具体例が多ければよいわけでもありません。例そのものの説明が長くなり、何を説明するための例だったのか分からなくなれば、かえって本題が見えにくくなります。
また、一つの特殊な例だけを見て、概念全体について理解したつもりになる危険もあります。
具体例は、説明そのものの代わりではありません。抽象的な説明を読み手が具体的な状況へ結びつけるための橋として使うことで、理解を助けることができます。
専門用語を使わなければ、わかりやすいのか
専門用語の多い文章は、初めて読む人にとって難しくなることがあります。そのため、わかりやすい文章では専門用語を避けるべきだと考えられることがあります。
しかし、専門用語には複雑な概念を短い言葉で共有できるという役割があります。
たとえば、「ワーキングメモリ」という言葉を知らない人には説明が必要です。しかし一度その概念を理解すれば、「情報を一時的に保持しながら処理する認知の仕組み」と毎回書くより、「ワーキングメモリ」と呼んだほうが文章を簡潔にできます。
問題は専門用語そのものではなく、読み手が知らない言葉を説明せずに使うことです。
必要な専門用語であれば、最初に意味を説明してから使う。一般的な言葉で十分に表現できるなら、わざわざ難しい用語へ置き換えない。読み手と文章の目的に応じて選ぶことが重要です。
わかりやすさとは、語彙を単純にすることではなく、読み手が意味をたどれるようにすることだと考えられます。
曖昧な文章では、読み手が意味を決めなければならない
文章には、複数の意味に解釈できる表現が生まれることがあります。
「部長は社員に昨日届いた資料を渡した」という文では、「昨日届いた」のは資料だと読むのが自然ですが、文の構造によっては修飾関係が分かりにくくなることがあります。
また、「それ」「このこと」「その問題」といった指示語が何を指しているのか分からなくなる場合もあります。
書き手には意味が一つしか見えていなくても、読み手には複数の解釈が可能なことがあります。
もちろん、文学作品のように意図的な曖昧さが表現として機能する文章もあります。しかし、情報を正確に伝えることが目的なら、読み手が不要な解釈をしなくて済むようにすることが重要です。
誰が行動したのか。何が何を修飾しているのか。「これ」が何を指しているのか。こうした関係を明確にするだけでも、読み手が文章を処理するときの負担を減らすことができます。
情報を増やせば、親切な文章になるとは限らない
分かりやすく説明しようとすると、できるだけ多くの情報を書きたくなることがあります。
しかし、情報量が多いことと、理解しやすいことは同じではありません。
ある概念を説明するために、その歴史、関連人物、例外、隣接概念、研究史まで一度に説明すれば、情報としては豊富になります。その一方で、読み手が最初に知るべき中心的な内容が見えにくくなることがあります。
説明では、「何を知れば次の内容を理解できるのか」という順番が重要です。
まず中心となる概念を示し、それを理解するために必要な情報を置く。そのあとで、必要に応じて例外や発展的な内容へ進む。情報に優先順位があると、読み手は理解を積み重ねやすくなります。
丁寧に説明することは、すべてを書くことではありません。読み手が理解するために必要な情報を選び、適切な順番で渡すことでもあります。
「わかりやすさ」は読み手によって変わる
同じ文章でも、すべての人が同じように理解するわけではありません。
その分野についてすでに知識を持っている人と、初めて触れる人では、説明してほしい内容が異なります。専門家にとっては説明が多すぎる文章でも、初心者にはちょうどよい場合があります。
文章理解には、読み手が持っている知識や読解経験も関係します。
そのため、「誰にとっても絶対にわかりやすい文章」を作ることは簡単ではありません。
重要なのは、想定する読み手を考えることです。
この言葉を知っているだろうか。この説明だけで次の話へ進めるだろうか。どこで疑問を持つだろうか。書き手がこうした問いを持つことで、文章は「自分が分かる文章」から「相手が理解できる文章」へ近づいていきます。
読みやすさと、わかりやすさは同じではない
文章を評価するとき、「読みやすい」と「わかりやすい」は同じ意味で使われることがあります。しかし、両者は完全には一致しません。
短い文が続き、親しみやすい言葉だけで書かれていれば、文章を滑らかに読み進められるかもしれません。それでも、論理関係が曖昧であれば、読み終えたあとに内容を説明できないことがあります。
反対に、専門的な概念を扱う文章では、一度立ち止まって考えなければならない部分があっても、説明の構造が明確であれば、最終的には深く理解できることがあります。
文章の形式に対して感じる読みやすさと、内容について形成される理解は、必ずしも同じではありません。
文章を分かりやすくする目的は、読者をできるだけ速く最後まで進ませることではなく、伝えようとしている内容を適切に理解できる状態を作ることです。
わかりやすい文章に一つの型はない
ここまで見ると、わかりやすい文章にはいくつかの条件があることが分かります。
必要な前提が示されている。文と文の関係を追える。文章全体に一貫性がある。曖昧な表現が必要以上に残っていない。情報に優先順位があり、読み手に合った説明がされている。
しかし、これらを満たすための文章の形が一つに決まっているわけではありません。
ニュース記事、研究論文、業務マニュアル、商品説明、小説では、文章の目的が異なります。短く結論から書くことが適切な場合もあれば、背景から順番に説明したほうが理解しやすい場合もあります。
また、文章には書き手の文体があります。すべての文を同じ長さにしたり、決められた言い回しへ機械的に置き換えたりすれば、正確であっても不自然な文章になることがあります。
そのため、文章を整えるための基準やツールは、絶対的な正解を決めるものというより、書き手が見落としている可能性のある箇所に気づくための手がかりとして使うことができます。
最終的には、その文章で誰に何を伝えるのかという目的に戻って判断する必要があります。
文章を見直すためにツールを活用する方法もある
自分で書いた文章は、内容をよく知っているからこそ、分かりにくい部分に気づきにくいことがあります。書き手の中では自然につながっている表現でも、読み手にとっては一文が長かったり、同じ表現が続いていたり、言葉の使い方に揺れがあったりすることがあります。
こうした文章を見直す方法の一つとして、文章校正・推敲支援ツールを利用することもできます。
「文賢」は、文章の校正や推敲を支援するクラウド型のAI校正ツールです。文章をチェックし、自分では見落としていた表現や文章上の特徴に気づくための補助として利用できます。
ただし、ツールが示す指摘が、その文章にとって常に正解になるわけではありません。この記事で見てきたように、わかりやすさは文章の目的や読み手によっても変わります。指摘をそのまま採用するのではなく、「この文章では本当に直したほうがよいのか」を書き手自身が判断することが大切です。
文章を読み直すときのもう一つの視点として、文賢を活用することができます。
→ あなたの文章をもっと読みやすく。文章作成アドバイスツール【文賢】
まとめ
わかりやすい文章とは、単に短い文章や、簡単な言葉だけで書かれた文章ではありません。
読み手は、単語や文の意味を理解し、それらの関係をつなぎ、自分が持っている知識も使いながら、文章全体について一つの理解を作っていきます。
そのため、文章を書く側には、必要な前提を示すこと、情報の関係を追えるようにすること、文章全体の中心を保つこと、曖昧さを減らすこと、情報を適切な順番で提示することなどが求められます。
そして、わかりやすさは文章だけで決まるものでもありません。同じ文章でも、読み手の知識や経験によって理解のしやすさは変わります。
だからこそ、「自分には意味が分かる」という状態と、「読み手にも伝わる」という状態を分けて考える必要があります。
文章を読み直すときに見るべきなのは、単に間違いがあるかどうかだけではありません。読み手が文章の意味をどのようにたどっていくのか。その視点から文章を見ることが、伝わる文章へ近づけるための重要な手がかりになります。
参考資料
柏崎秀子(2010)「文章の理解・産出の認知過程を踏まえた教育ヘ――伝達目的での読解と作文の実験とともに――」『日本語教育』146巻 https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihongokyoiku/146/0/146_34/_article/-char/ja/
吉田直人・中山実・清水康敬(2002)「わかりやすい文章表現と文章理解に関する一検討」『日本教育工学雑誌』25巻4号 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jmet/25/4/25_25.4_217/_article/-char/ja/
黒岩浩美(1993)「作文指導における文章の結束性――文の連接関係からの分析」『日本語教育方法研究会誌』1巻1号 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jlem/1/1/1_KJ00008196323/_article/-char/ja/
小森万里(2020)「はじめてレポートを書く日本語学習者の困難点――卓立性・結束性・論理性・一貫性の観点から」『日本語教育方法研究会誌』26巻2号 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jlem/26/2/26_68/_article/-char/ja/