
主語と述語のねじれとは?文章がわかりにくくなる仕組み
文章を読んでいて、一文一文の言葉は理解できるのに、「結局、何がどうなったのだろう」と感じることがあります。文法的に大きく間違っているようには見えなくても、途中で意味を取り直さなければならない文章もあります。
こうした分かりにくさの原因の一つが、主語と述語の関係です。「誰が」「何が」にあたる部分と、それについて「どうする」「どのような状態である」と述べる部分が適切に対応していないと、文の意味は不安定になります。このような状態は、文章表現について説明する際に「主語と述語のねじれ」などと呼ばれることがあります。
ただし、日本語では主語を必ず明示するわけではありません。「今日は早く帰ります」のように、誰が帰るのかを文脈から判断できる文も自然に使われています。そのため、分かりやすい文章を書くために、すべての文へ主語を入れればよいというわけではありません。
では、主語と述語はどのような関係にあり、なぜその関係が崩れると文章が分かりにくくなるのでしょうか。主語の省略、長い修飾語、一文への情報の詰め込みなども含めながら、文の骨格を整える基本的な考え方を見ていきます。
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主語と述語とは何か
文の構造を考えるとき、基本となる関係の一つが主語と述語です。学校文法では一般に、主語は「何が」「誰が」にあたる部分、述語はその主語について動作、状態、性質などを述べる部分として説明されます。
たとえば、「鳥が飛ぶ」という文では、「鳥が」が主語、「飛ぶ」が述語です。「空が青い」であれば、「空が」が主語、「青い」が述語になります。「父は教師だ」のように、「何であるか」を示す形もあります。
実際の日本語の文は、これほど単純なものばかりではありません。「私は昨日、駅前の書店で以前から探していた本を買った」という文には、いつ、どこで、どのような本を、といった情報が加わっています。それでも中心をたどれば、「私は―買った」という関係を見つけることができます。
文章が複雑になっても、中心となる関係が読み手に把握できれば、文の意味を追いやすくなります。反対に、この骨格が崩れると、使われている単語自体は簡単でも意味を取りにくくなります。
主語と述語のねじれとは?
主語と述語のねじれとは、文の中で主語と述語が適切に対応しておらず、「誰が何をするのか」「何がどのような状態なのか」という関係が崩れている状態を指します。
たとえば、「私の目標は、毎日30分本を読みます」という文を考えてみます。「私の目標は」という部分を受けるのであれば、「毎日30分本を読むことです」と続けたほうが対応関係は明確です。「目標」が「読みます」という動作をするわけではないため、最初に置いた言葉と文末がうまく結びついていません。
このようなねじれは、短い文であれば比較的見つけやすいものです。しかし、一文が長くなり、途中に多くの説明が入ると、書き手自身も文頭で何を主語として置いたのかを見失うことがあります。その結果、書き始めたときとは異なる構造で文を終えてしまいます。
ねじれた文でも、読み手が意味を推測できる場合は少なくありません。ただ、読み手はそのたびに文の関係を頭の中で組み直す必要があります。文章が伝わりにくくなるのは、単語が難しいからではなく、文の構造を読み手側で修復しなければならないからでもあります。
主語と述語が対応しているかを見る
主語と述語の関係を確認するときには、文の細かな説明をいったん外し、中心となる部分だけを取り出す方法があります。
たとえば、「この制度の大きな特徴は、利用者が自分の状況に応じて複数の選択肢の中から自由にサービスを選ぶことができます」という文があるとします。途中の説明を省いて骨格を見ると、「特徴は―選ぶことができます」となります。
この場合、「この制度では、利用者が自分の状況に応じて複数の選択肢から自由にサービスを選ぶことができます」とすれば、「利用者が―選ぶことができます」という関係になります。あるいは、「この制度の大きな特徴は、利用者が複数の選択肢から自由にサービスを選べることです」とすれば、「特徴は―ことです」という形になります。
どちらが適切かは、何を中心に伝えたいかによって変わります。重要なのは、文頭と文末を機械的に直すことではなく、その文で何について何を述べようとしているのかを明確にすることです。
なぜ主語と述語はねじれるのか
主語と述語のねじれは、書き手が日本語の文法を知らないから起こるとは限りません。日常的に文章を書いている人でも、文が長くなったり、途中で説明を追加したりすると起こることがあります。
文章を書き始めた時点では、「この問題の原因は―」と続けるつもりだったとします。しかし、その途中で背景や具体例を説明しているうちに、書き手の意識が「人々がどのように行動するか」という別の内容へ移ることがあります。そのまま文を終えると、文頭では「原因」を説明していたはずなのに、文末では「人々が行動する」という別の構造になってしまいます。
話し言葉では、途中で文の構造が変わっても、声の調子や間、身振り、その場の文脈などによって意味を補うことができます。書き言葉では、読み手が利用できる手がかりが限られるため、文の構造そのものが理解を支える役割を持ちます。
特に、考えながら一文を伸ばしていくときには注意が必要です。途中で新しい情報を加えるたびに、最初に作った文の骨格から離れていないかを確認すると、ねじれを防ぎやすくなります。
一文が長くなるほど関係を見失いやすい
一文が長いからといって、必ず分かりにくくなるわけではありません。複雑な内容を説明するために、ある程度長い文が必要になることもあります。
ただし、文が長くなれば、主語と述語の間に多くの情報が入る可能性があります。修飾語、具体例、条件、理由、補足などが重なると、読み手だけでなく書き手も、最初の主語がどの述語へつながるのかを見失いやすくなります。
たとえば、「新しく導入された制度は、これまで各部署が個別に管理していた情報を一つのシステムへ集約し、必要な情報を担当者がすぐに確認できる環境を整えることによって、業務の効率化が期待されています」という文では、文頭の「制度は」と文末の「業務の効率化が期待されています」の関係が分かりにくくなっています。
「新しく導入された制度では、これまで各部署が個別に管理していた情報を一つのシステムへ集約します。担当者が必要な情報をすぐに確認できる環境を整えることで、業務の効率化が期待されています」と分ければ、それぞれの文の関係を追いやすくなります。
一文を分けることは、単に文章を短くするための方法ではありません。一つの文に複数の関係が重なっているとき、それぞれの関係を整理する方法でもあります。
長い修飾語が主語を見えにくくする
主語と述語そのものは対応していても、その間に長い修飾語が入ることで分かりにくくなることがあります。
「昨年度から複数の部署で試験的に導入され、利用者から寄せられた意見をもとに何度も改良されてきた新しいシステムが、来月から全社で運用されます」という文では、「新しいシステムが―運用されます」が中心です。その前に長い説明が付いているため、中心となる主語へ到達するまでに時間がかかります。
この程度であれば意味を追うことはできますが、修飾する情報がさらに増えると、「何について説明している文なのか」が途中で見えにくくなります。その場合には、修飾部分を別の文にする方法があります。
「新しいシステムは、昨年度から複数の部署で試験的に導入されてきました。利用者から寄せられた意見をもとに改良を重ね、来月から全社で運用されます」とすれば、情報量を大きく減らさなくても文の中心を見つけやすくなります。
重要なのは、長い修飾語をすべて避けることではありません。読み手が修飾関係を保持したまま、中心となる主語と述語へ無理なくたどり着けるかを見ることです。
一つの文に複数の主語が現れる場合
一つの文の中に複数の人物や対象が登場すると、「誰が何をしたのか」が分かりにくくなることがあります。
たとえば、「部長は担当者が提出した報告書を確認したあと、修正する必要があると伝えました」という文では、「修正する」のが誰なのかが文だけでは明確でない場合があります。部長が修正するのか、担当者に修正を求めたのかによって意味が変わります。
前後の文脈から判断できる場合もありますが、重要な情報であれば、「部長は、担当者が提出した報告書を確認し、担当者に修正するよう伝えました」のように関係を明示したほうが誤解を避けやすくなります。
文章の中に複数の人物や組織が登場するときには、主語を省略することで意味が曖昧になる場合があります。誰の判断なのか、誰の行為なのかが重要な場面では、必要に応じて主体を明示することが大切です。
日本語では主語が省略されることがある
主語と述語について考えるとき、日本語では主語がしばしば明示されないことにも注意が必要です。
たとえば、友人との会話で「昨日、新しい映画を見たよ」と言えば、「私が」と言わなくても、多くの場合は話し手が映画を見たことだと理解できます。「明日は何時に来ますか」と聞かれたあとで「10時に行きます」と答える場合も、「私は」を入れる必要はありません。
文章でも、前の文ですでに主体が明らかになっていれば、次の文で同じ主語を繰り返さないほうが自然な場合があります。すべての文に「私は」「彼は」「会社は」などを入れると、かえって単調で読みにくくなることもあります。
そのため、「主語が書かれていない=悪い文章」と考えることはできません。重要なのは、主語が省略されていても、読み手が誰について述べているのかを無理なく判断できることです。
省略によって自然になる場合と、省略によって主体が曖昧になる場合を区別する必要があります。
「は」と「が」と主語の関係
日本語の文を考えるときには、「は」が付いた語をすべて単純に主語と考えると説明しにくい場合があります。「は」は、文の話題を示したり、他のものとの対比を示したりする働きも持っているからです。
たとえば、「象は鼻が長い」というよく知られた例では、「象は」と「鼻が」という二つの要素が現れます。この文を単純に「象は」が主語で「長い」が述語だと考えるだけでは、「鼻が」の役割を十分に説明できません。
日本語学では、主語とは何か、「は」と「が」をどのように捉えるかについてさまざまな議論があります。そのため、実際の文章を整える場面では、すべての文を学校文法の単純な「主語+述語」へ当てはめようとする必要はありません。
文章を書くうえで実用的なのは、「この文は何について述べているのか」「誰が、または何が、その動作や状態の主体なのか」「文末はそれを適切に受けているか」を確認することです。文法用語だけではなく、意味の関係を見ることが重要になります。
主語が途中で変わっていないか確認する
文章を書いていると、一つの文の途中で視点や主体が変わることがあります。
たとえば、「企業が新しい制度を導入する目的は、従業員が働きやすい環境を整え、仕事への満足度を高めることが期待されています」という文では、前半では「企業が制度を導入する目的」を説明しようとしています。しかし、後半では「満足度を高めることが期待される」という別の構造へ移っています。
「企業が新しい制度を導入する目的は、従業員が働きやすい環境を整え、仕事への満足度を高めることです」とすれば、文頭の「目的は」と文末の「ことです」が対応します。一方、「企業が新しい制度を導入することで、従業員が働きやすい環境が整い、仕事への満足度が高まることが期待されています」とすれば、「期待されている内容」を中心にした文になります。
どちらも似た情報を扱っていますが、文の中心は異なります。書いている途中で何を中心に述べたいのかが変わった場合には、最初から文の構造を組み直したほうが自然になることがあります。
「〜こと」「〜もの」で受ける文にも注意する
長い説明を名詞のようにまとめるために、「〜こと」「〜もの」といった表現が使われます。これらは日本語の文章に必要な表現ですが、文頭と文末の関係を曖昧にすることもあります。
「私が重要だと考えているのは、相手の話を最後まで聞き、すぐに否定せず、その背景まで理解しようとします」という文では、「考えているのは」に対して「理解しようとします」が直接続くため、構造が合いません。
「私が重要だと考えているのは、相手の話を最後まで聞き、すぐに否定せず、その背景まで理解しようとすることです」とすれば、「重要だと考えているのは―ことです」という関係が成立します。
「理由は」「目的は」「特徴は」「問題は」「重要なのは」といった表現で文を書き始めた場合には、文末がそれをどのように受けているかを見ると、ねじれを見つけやすくなります。
主語と述語は近ければよいのか
文章術では、主語と述語をできるだけ近づけると分かりやすくなる、と説明されることがあります。確かに、両者の間に大量の情報が入ると関係を追いにくくなるため、距離を短くすることが有効な場合はあります。
しかし、主語と述語が離れていること自体が誤りではありません。修飾関係が明確で、読み手が文の構造を追えるのであれば、ある程度長い文でも問題なく理解できます。
反対に、主語と述語が近くても、意味として対応していなければ文はねじれます。「私の趣味は、本を読みます」という文は短いものの、「趣味は―読みます」という関係になっているため不自然です。「私の趣味は、本を読むことです」とすれば関係が整います。
つまり、見るべきなのは単純な距離ではなく、主語や話題として置いたものを、述語が意味のうえで適切に受けているかどうかです。
主語と述語のねじれを見つける方法
自分で書いた文章では、主語と述語のねじれに気づきにくいことがあります。書き手は自分が何を言いたいのかを知っているため、文の不足や曖昧さを無意識に補いながら読んでしまうからです。
見直す方法の一つは、長い修飾部分をいったん無視して、文の中心だけを取り出すことです。「この制度の特徴は―選べます」「私が重要だと思うのは―努力します」のように骨格だけにすると、対応の不自然さが見えやすくなります。
また、文末から逆に確認する方法もあります。「期待されています」で終わっているなら、何が期待されているのか。「必要です」で終わっているなら、何が必要なのか。「理由です」で終わっているなら、何の理由なのかをたどります。
声に出して読むことも一つの方法です。黙読では自然に補っていた部分でも、音として読むと途中で引っかかったり、文末まで息が続かず構造の複雑さに気づいたりすることがあります。
こうした主語と述語の関係を確認するときには、文章支援ツールを補助的に利用する方法もあります。
「文賢」は、AIと独自のアルゴリズムを活用して、文章の校正や推敲を支援するクラウドツールです。独自のルールによる推敲では「主述関係が不明瞭(β版)」というチェック項目があり、主語と述語の関係を見直すきっかけとして利用できます。一文の長さや読点の使い方など、文の構造に関係するほかの項目も確認できます。
ただし、この記事で見てきたように、日本語では主語の省略が自然な場合もあり、「は」と「が」の関係も単純ではありません。ツールから指摘された箇所をすべて機械的に修正するのではなく、「この文は何について何を述べているのか」を自分でも確認し、文脈に応じて判断することが大切です。
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ねじれを直すときは文の中心を決める
ねじれた文章を修正するときには、言葉を一つずつ入れ替える前に、「この文で最も伝えたいことは何か」を確認すると整理しやすくなります。
たとえば、「このサービスの利点は、利用者が場所を選ばず利用できます」という文であれば、「利点」を中心にするのか、「利用者」を中心にするのかを決めます。
利点について説明するなら、「このサービスの利点は、利用者が場所を選ばず利用できることです」とできます。利用者の行動を中心にするなら、「このサービスを使えば、利用者は場所を選ばず利用できます」とできます。
どちらも元の文が伝えようとしていた内容を保っていますが、文の骨格は異なります。ねじれを修正するとは、単に文法上の誤りを直すだけではなく、何を中心に述べる文なのかを決め直す作業でもあります。
一文に情報を詰め込みすぎない
主語と述語のねじれを防ぐためには、一つの文へどこまで情報を入れるかも重要です。
原因、背景、具体例、例外、結果まで一文で説明しようとすると、複数の主語と述語が文の中に現れます。それぞれの関係が明確であれば成立しますが、情報が増えるほど構造を管理することは難しくなります。
その場合には、一文を二文や三文へ分けることで、それぞれの文が担う役割を明確にできます。ただし、短く分ければ必ず読みやすくなるわけでもありません。細かく切りすぎれば、前後の関係が分断され、文章の流れが単調になることがあります。
一文に一つの情報しか書いてはいけない、と考える必要はありません。一つの文の中に複数の情報があっても、それらが一つの中心へ結びついていれば自然に読むことができます。問題は、文の途中で中心そのものが変わってしまうことです。
主語を増やしすぎても読みやすくならない
主語と述語の関係を明確にしようとして、すべての文で主語を繰り返すと、かえって文章が不自然になることがあります。
「田中さんは会議室へ入りました。田中さんは資料を机に置きました。田中さんは参加者へ資料を配りました。田中さんは席に座りました」という文章では、主体は明確ですが、同じ主語が繰り返されるため機械的な印象になります。
前後の文脈から主体が明らかなら、「田中さんは会議室へ入り、資料を机に置きました。参加者へ資料を配ったあと、席に座りました」といった形でも意味は伝わります。
主語を明示するか省略するかは、文法的な形式だけでは決まりません。主体を明示しなければ誤解が生じる場所では書き、文脈から明らかな場所では省略する。読み手が関係を追える範囲で調整することが大切です。
文章全体では「誰の視点か」も確認する
主語と述語の関係は一文の中だけでなく、文章全体の分かりやすさにも関係します。
ある段落では企業側の視点から制度を説明し、次の文では従業員側へ移り、その直後に社会全体の話へ移ると、個々の文が文法的に成立していても、読み手は「今は誰の立場から説明しているのか」を追い直す必要があります。
もちろん、複数の立場を扱うこと自体に問題はありません。むしろ、一つの問題を理解するために複数の視点が必要なこともあります。その場合には、「一方、従業員の側から見ると」のように視点の変化を示したり、段落を分けたりすることで関係を明確にできます。
一文の中では主語と述語の対応を見る。段落では何について説明しているのかを見る。文章全体では、どの視点から話が進んでいるのかを見る。このように範囲を広げて確認すると、文章の構造を捉えやすくなります。
主語と述語を見ることは、文の骨格を見ること
文章には、具体例、修飾語、接続詞、引用、数字など、さまざまな情報が含まれています。しかし、それらを支えているのは、「何について、何を述べているのか」という基本的な関係です。
主語と述語の対応を確認することは、その文から細かな装飾をいったん外し、骨格を見ることでもあります。骨格が明確であれば、その上に詳しい説明を加えても構造を保ちやすくなります。
反対に、中心となる関係が曖昧なまま説明を増やすと、文章が長くなるほど何について述べているのか分かりにくくなります。これは、前の記事で扱った冗長さとも関係しています。情報を増やすこと自体が問題なのではなく、それぞれの情報がどの中心へ結びついているのかが重要なのです。
文を書いたあとに「誰が、何をしたのか」「何が、どうなのか」「この文は何について何を伝えているのか」と問い直すだけでも、文章の構造は見えやすくなります。
まとめ
主語と述語のねじれとは、文の中で「誰が・何が」にあたる部分と、それについて「どうする・どうである」と述べる部分が適切に対応していない状態です。文頭と文末の構造がずれると、読み手は文章の意味を自分で組み直さなければならなくなります。
ねじれは、一文が長くなったとき、途中へ多くの修飾語や補足を加えたとき、複数の人物や対象が登場したとき、書いている途中で文の中心が変わったときなどに起こりやすくなります。
ただし、日本語では主語が省略されることも多く、すべての文へ主語を明示すればよいわけではありません。「は」と「が」の働きも単純ではなく、実際の日本語の文をすべて「主語+述語」だけで説明できるわけでもありません。
文章を整えるうえで大切なのは、文法用語だけに当てはめることではなく、その文が何について何を述べているのかを読み手が無理なく理解できることです。長い文では中心となる部分を取り出し、主語や話題として置いたものを文末が適切に受けているかを確認すると、ねじれを見つけやすくなります。
主語と述語を見ることは、文章の表面ではなく、その内側にある骨格を見ることです。骨格が整っていれば、必要な説明を加えて文章が長くなっても、読み手は内容を追いやすくなります。文章を短くすることではなく、誰が何をし、何について何を述べているのか。その関係を明確にすることが、伝わる文章を作る基本になります。
参考資料
文化庁「公用文作成の考え方(建議)」 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/93722801_01.pdf
文化庁「国語施策・日本語教育」 https://www.bunka.go.jp/seisaku/kokugo_nihongo/