
言葉と思考の関係 私たちは言語によって考えているのか?
何かについて考えているとき、頭の中で言葉が流れていることがあります。
「今日は何から始めよう」「あのとき、別の言い方をすればよかった」「これはどういう意味なのだろう」。誰かに話しかけているわけではないのに、まるで自分自身と会話するように考えていることがあります。
こうした経験だけを見ると、人間は言葉によって考えているようにも思えます。
しかし、夕焼けを見て美しいと感じる瞬間や、見慣れた道を歩いているとき、あるいは誰かの表情から気持ちを察するとき、私たちは必ずしも頭の中で文章を作っているわけではありません。
では、言葉と思考は同じものなのでしょうか。
それとも、人間には言葉とは別の思考があり、言語はそれを整理したり表現したりするために使われているのでしょうか。
言語と思考の関係は、言語学、心理学、認知科学、哲学などで長く議論されてきた問題です。
言葉と思考は同じものなのか
まず区別しておきたいのは、「言葉を使って考えること」と「思考そのものが言葉であること」は同じではないという点です。
人間が言葉を使って考えることがあるのは確かです。予定を立てたり、複雑な問題を整理したり、自分自身の行動を振り返ったりするとき、言語は強力な道具になります。
一方で、言語がなければ思考そのものが成立しない、とまでは現在の研究から言うことができません。
言葉をまだ十分に話せない乳幼児でも、物体を認識したり、数量の違いに反応したり、出来事を予測したりする能力が確認されています。また、人間以外の動物にも、記憶、問題解決、計画、注意など、広い意味での認知活動が存在します。
さらに、言語能力に大きな障害が生じた人を対象とした神経心理学研究などからも、言語能力とさまざまな思考能力が完全には一致しないことが示されています。
2024年に科学誌『Nature』に掲載されたレビューでは、神経科学や認知科学などの研究をもとに、言語は複雑な思考そのものに必須ではなく、主としてコミュニケーションのために発達した可能性が論じられています。
つまり、「人間は言語によってしか考えられない」という単純な見方は、現在の研究からは支持しにくいのです。
頭の中で聞こえる言葉「内言」
それでも、私たちの思考と言葉が密接に結びついていることも事実です。
その関係を考えるうえで重要なのが、「内言(inner speech)」と呼ばれる現象です。
内言とは、実際には声を出していないにもかかわらず、心の中で言葉を使う経験を指します。頭の中で自分に話しかけたり、文章を組み立てたり、誰かとの会話を想像したりすることも、その一例です。
内言について重要な理論を残した人物の一人が、旧ソ連の心理学者レフ・ヴィゴツキーです。
ヴィゴツキーは、子どもが他者との会話のなかで使っていた言葉が、成長とともに自分自身の行動や思考を調整するために使われるようになり、やがて内面化されていくと考えました。
小さな子どもが遊びながら、「これをここに置いて」「次はこっち」と声に出して自分自身に話しかけていることがあります。
こうした自分に向けた発話は、やがて声に出さない内言へと変化していくという考え方です。
現在の研究でも、内言は計画、自己調整、ワーキングメモリ、問題解決など、さまざまな認知活動と関係していると考えられています。
ただし、内言がすべての思考に必要だという意味ではありません。内言は、人間が持つさまざまな思考の方法の一つとして捉えるほうが適切です。
使う言語によって、世界の見え方は変わるのか
言葉と思考の関係をめぐって、もう一つ有名な問題があります。
それが「言語相対論」です。
言語相対論とは、大まかにいえば、私たちが使用する言語の違いが、世界の認識や思考に何らかの影響を与えるという考え方です。
この問題は、アメリカの言語学者・人類学者エドワード・サピアや、言語学者ベンジャミン・リー・ウォーフの名前と結びつけられることが多く、「サピア=ウォーフ仮説」と呼ばれることもあります。
ただし、「サピア=ウォーフ仮説」という一つの明確な仮説が二人によって共同で提示されたわけではありません。後世になって、言語と思考の関係についての議論をまとめて呼ぶために広く使われるようになった名称です。
また、ここでは二つの考え方を区別する必要があります。
一つは、使用する言語によって人間の思考そのものが決定されるという強い考え方です。一般に「言語決定論」と呼ばれます。
もう一つは、言語によって注意の向け方や分類、記憶、判断などに一定の違いが生じる可能性があるという、より弱い意味での言語相対論です。
現在では、前者のように「言語が思考を完全に決める」とする単純な考え方よりも、言語が認知の特定の側面にどのような条件で、どの程度影響するのかを調べる研究が中心になっています。
「青」の見分け方は言語によって変わるのか
言語と思考の関係を調べた研究としてよく知られているものの一つに、色の認識があります。
色そのものは連続的に変化しています。しかし、人間はそこに「赤」「青」「緑」といった名前をつけ、カテゴリーとして区切っています。
そして、その区切り方はすべての言語で同じではありません。
2007年に『Proceedings of the National Academy of Sciences(PNAS)』に発表された研究では、英語話者とロシア語話者による青色の識別が比較されました。
英語では幅広い色を「blue」と呼ぶことができますが、ロシア語では基本的な色名として、明るい青と暗い青を異なる語で区別します。
実験では、ロシア語話者は二つの青がロシア語上の異なるカテゴリーにまたがっている場合、同じカテゴリー内にある場合よりも速く色を識別しました。一方、英語話者では同様のカテゴリー効果は確認されませんでした。
さらに、ロシア語話者に言語処理を妨げる課題を同時に行わせると、この優位性は消えました。
この結果は、日常的に使用している言語上のカテゴリーが、少なくとも特定の条件では色を見分ける処理に影響しうることを示すものとして注目されました。
ただし、この研究をもって「ロシア語話者と英語話者には異なる色の世界が見えている」とまで結論づけることはできません。その後には同じ効果を十分に再現できなかった研究もあり、言語が知覚そのものを恒久的に作り替えるのか、課題を行う瞬間の処理を助けているのかについても議論があります。
重要なのは、言葉が世界そのものを作り出すということではなく、言語によって習慣的に行っている分類が、注意や判断の仕方に影響する場合があるということです。
言葉は世界を分けるための「カテゴリー」になる
ここから見えてくるのは、言葉には連続している世界に区切りをつける働きがあるということです。
たとえば私たちは、さまざまな形や大きさをしたものを「椅子」と呼びます。
木製でも、金属製でも、脚が四本でも三本でも、一定の特徴を持つものを一つのカテゴリーとしてまとめることができます。
もちろん、カテゴリーそのものがすべて言語によって作られているわけではありません。人間は言葉を使わなくても、似たものと異なるものを識別する能力を持っています。
しかし、あるカテゴリーに名前がつくことで、その違いに注意を向けやすくなったり、記憶しやすくなったり、他者と共有しやすくなったりすることがあります。
「名前を知る」ということは、単に単語を一つ覚えるだけではありません。
それまで漠然としていた違いを、一つのまとまりとして捉えられるようになることがあります。
植物を知らない人には同じように見える草木も、名前や特徴を学んだ人には、それぞれ異なる植物として見えてきます。
これは言葉が目の前の現実を物理的に変えたということではありません。言葉によって、どこに注意を向け、どのような違いとして整理できるかが変わったと考えることができます。
言葉がなくても考えられることがある
一方で、人間の思考すべてを言葉として説明することもできません。
たとえば、家具を部屋のどこに置くか考えるとき、頭の中で配置を映像のように想像することがあります。
音楽を作る人が旋律を思い浮かべたり、スポーツ選手が身体の動きをイメージしたりする場合もあります。
誰かの顔を思い出すときにも、その顔を説明する文章を頭の中で作らなければ思い出せないわけではありません。
視覚的イメージ、空間認知、身体感覚、感情など、言語とは異なる形で進む認知活動があります。
神経科学の研究でも、言語処理を担う脳のネットワークと、数学、推論、音楽、社会的認知などに関わるネットワークが完全に同じではないことがわかってきています。
言語能力が大きく損なわれても、ある種の推論や計算などを行える事例があることも、思考と言語をそのまま同一視できない理由の一つです。
私たちは「言葉で考えることができる」のであって、「言葉でしか考えられない」わけではないのです。
それでも言葉が思考を大きく変える理由
では、言語が思考そのものではないのであれば、言葉はそれほど重要ではないのでしょうか。
むしろ逆です。
言葉が思考のすべてではないからこそ、言語が果たしている役割をより具体的に見ることができます。
言葉を使えば、曖昧な経験に名前をつけることができます。
複数の出来事を並べて比較したり、原因と結果を整理したり、自分自身の考えを振り返ったりすることもできます。
さらに、一人では持つことのできなかった概念を、他者から受け取ることができます。
「重力」「民主主義」「無意識」「進化」といった概念を、私たちは自分自身の直接経験だけから作り上げたわけではありません。すでに社会のなかに蓄積されていた言葉と知識を学ぶことで、それまで持っていなかった視点から世界について考えられるようになります。
ここに、言語の非常に大きな力があります。
言葉は思考を生み出す唯一の源ではありません。しかし、すでに存在する経験や認知を整理し、組み合わせ、他者と共有し、さらに新しい思考へ進むための道具になることがあります。
私たちは言語によって考えているのか?
最初の問いに戻ってみましょう。
私たちは言語によって考えているのでしょうか。
現在の研究を踏まえるなら、「あるときはそうであり、すべてがそうではない」という答えが最も近いでしょう。
人間には、言葉を使わずに行われる認知があります。その意味では、言語と思考を同じものと考えることはできません。
一方で、言語を身につけた人間にとって、言葉は思考と深く結びついています。
内言によって自分の行動を整理する。名前をつけることで違いに気づく。概念を学ぶことで、それまで考えられなかった問題について考える。言語上のカテゴリーが、判断や知覚の一部に影響することもあります。
したがって、言葉は私たちの思考を完全に決定するものでも、思考をそのまま外へ運ぶだけの容器でもありません。
人間が世界を認識し、経験を整理し、他者から知識を受け取り、自分自身の考えを組み立てていく過程に、言語はさまざまな形で関わっています。
まとめ
言葉と思考は密接に関係していますが、同じものではありません。
人間には言葉を使わずに行われる認知があり、現在の研究でも、複雑な思考のすべてに言語が必須だとは考えられていません。
その一方で、内言、カテゴリー化、記憶、注意、自己調整など、言語が思考に関わる場面は数多くあります。また、使用する言語の違いが、特定の認知課題に影響することを示す研究もあります。
「言語が思考を決めるのか、それとも思考と言語は別なのか」という二者択一では、この関係を十分に捉えることはできません。
私たちは言葉だけで考えているわけではない。それでも、言葉を持つことによって、考えられることの整理の仕方や、他者と共有できる思考の範囲は大きく広がっている。
言語と思考の関係は、そのような複雑な相互作用として研究されています。
参考資料
Stanford Encyclopedia of Philosophy, The Linguistic Relativity Hypothesis https://plato.stanford.edu/archives/spr2005/entries/relativism/supplement2.html
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